京都 濱長本店
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第1回 心の扉をたたいてみれば
数年前、知人Tのコンサートを聴きに行ったときの事、彼の話の中で、ずうーっと今も頭の片隅に残っている言葉があります。
それは、彼の友人が歌手を辞めて精神科医を選んだ事について、「どうして精神科医なの?」と聞くと「誰かが怪我をしていたら、人は『大丈夫』と気遣う事ができるけど、もし誰かのその心が血を流していても、人は何も気が付かない。僕はそんな人の心の血を止めてあげたいんだ」

この「心が血を流す」という生々しい言葉は、強烈なイメージとなって、その後「この人はひょっとして心で血を流しているかもしれない」とか、「血が滲んできたわ!」なんぞと、私の中で時折ふっと思い浮かんできたりするようになりました。
人は、目に見える事以外には結構無頓着で、鈍感なものです。私も何人もの人の心を傷つけたろうし、よく人と話をしていて「この人に何度殺されるんだろう」と思うこともよくあります。
こうして人は言葉によって人間不信になり、どんどん人間嫌いになって心を枯らしていくのです。
瀬戸内寂聴さんの「人は病気では死にません。でも寂しいと死ぬのです」
という言葉とオーバーラップして、最近片手に携帯電話を常に持っている自分や、行き交う人々の姿を見て、人って随分弱いもんなんだなと思う半面、この便利な機械が、人を人間依存症へと駆り立て、思考の自立性を喪失せしめてゆく恐怖を感じます。
でもこの文字画面、なぜか人の温もりや心が見えにくい。
情報を伝えるには格好の道具になっても、手紙と同じレベルと考えるのは甚だしい間違いと言わねばなりません。
「手っ取り早くメールを送っておけばそれでいいや」
この希薄な人間関係からいったい何が生まれるのだろう?
「てめえなんか大嫌いだ!」と、面と向かって言い合うこの小気味よさ。
人は心でぶつかり合いたいものです。
カチャカチャとメールで交信しても、人は次第に寡黙になり、
寂しくなって、心が血を流し始めるのです。
濱長 主人 拝


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